大倉くんと高橋くん 2019年9月7日放送 オープニング 文字起こし

大倉くんと高橋くん 2019年9月7日-8日

 


大倉さん=『 』

高橋さん=「 」

 


「こんばんは〜」

『こんばんは!』

「大倉くんと高橋くん…が、」

『はい、よろしくお願いします』

「よろしくお願いします〜」

『さあまあ、始まって、あの、早々なんですけども、』

「はいはい」

『まあ、関ジャニ∞にとってですね、』

「うん」

『えー…まあ〜ちょっと、おっきな出來事がありまして、』

「はいはい」

『まあ優くんも、まあ、知ってくれてはいると思うんですけども、』

「はい」

『あのー…ちょっとですね』

「うーん」

『まあーそのままぁ、なんか、あのー、お話するのも全然大丈夫なんですが、』

「はい(小声)」

『なんかちゃんとあの、この頭の部分で』

「うん」

『自分のまとまった考えっていうのを、』

「うん」

『あの、あの…なんですかね、聴いて頂いた方が』

「うん」

『あの、まあちゃんと、何ですかねつた、お伝えすることはお伝えして』

「はい」

『あの…お送りできるかなと思ったんで』

「はい」

『ちょっと手紙を、書いてきたんですけれども』

「はいはい」

『あの、その、リスナーの皆さんには、ね、優くんの、ファンの皆さんや、えー全然ねえ、あのー關ジャニには興味ない、人たちも、いらっしゃるとは思うんですけれども』「うん」

『あの、僕なりにちょっと、…えーちょっと長いんですが、』

「うん」

『ちょっと…書いてきたんで』

「はい」

『…あの…ー……聴いて頂ければ』

「是非是非聴かしてください」

『…と思います』

「はい」

『…じゃあちょっと、読ましていただきます』

「お願いします」

『はい!』

 

 

 

 

 

 

 


『えー…eighterの皆さんへ

 


えー今回、えー自分の考えをしっかりと伝えたいと思い手紙を書いてきました、聞いて頂ければ幸いです。…えーこの度、えー亮ちゃんが抜けて、関ジャニ∞が、5人になるということになりました。えー同期の、亮ちゃん、ヤス、マルとは、出会って約…22年、僕にとっては…唯一ですね、幼馴染のような存在です。えー沢山の時間を過ごして、喜び、悲しみ、えー…いろんなことを分け合ってここまで過ごしてきました。えー僕たちは、個々の思いが強いことや、強烈な個性が集まっているからこそ、今まで沢山ぶつかってきました。それでも、えー内が抜けてから、えーずっと、7人で走ってきました。皆さんに沢山の夢も叶えてもらって、えー沢山の素敵な景色も見させてもらいました。えー…その時の僕はですね、グループとは…永遠に続くもんだと、当たり前のように思っていました。えぇですが、すばるくんの脱退ということで、永遠はないのだと改めて知り、ヤスの病気で、命について深く考え、濃い、2年間を過ごしてきました。えぇ、7人が、えー6人になること、世間からは、1人減るだけ、えー言葉にすればそれで終わりですが、そんな簡単なことではありませんでした。えー1人がいなくなることにより、絶妙に保っていたバランスが、急に崩れてしまいました。そこから、ヤスが動けない状態での五大ドームツアー。どうにか、皆に気づかれないように、頑張っていたんですけれど、心は擦り切れて、限界に近づいていました。えーそして、そんな状態で、この6人でこれから、どうやってアプローチしていく…んだという会話を始めました。…でも今で精一杯なのに、来年のことなんて考えられないと、えー……2004年活動を始めてから、初めて、立ち止まりました。そこから、…6人になった自分たちの方向性、来年はどうするんだ、と。何も見えない中、手探りで話し合い、一度立ち止まろうとか、……全員がグループを閉じる覚悟も、…したはずです。…まあそんな心の状態で話しても、ネガティブな意見しか出ないものです。それでも、6人で時間をかけて、……たくさん話し合った結果、……今、この選択になりました。………チャレンジの、方向性の違いです。………亮ちゃんは、多くを語る人ではない分、これから、自分の活動で、…体現していくはずです。

3月、末にはですね、今の状態になることが決まり、約半年、どうやったらエイターの皆が安心してくれるんだろうと、すごく考えた結果、いつかもう一度やりたかった、47都道府県ツアーで、皆に、直接会いたいとスタッフに申し出ました。新しい僕らの方向性も示さなきゃいけない、えー複雑なエイターの子たちにこれで進んでいくんだと、決意、覚悟を見せなければいけない。正直、ハードルは高いと思います。でも、傷だらけでも、泥くさくても、…前を向いて、上を目指していこうと……僕らは、えー元々、諦めの悪い人達です。こんな状態でも、…頑張っていこうと、今五人で結束しています。…まだ、……発表されて、2日。エイターの皆も、気持ちが追いついてないと思います。素直に応援できない人もいると思います。…えー実際、…5人になって、覚悟できていたはずの、僕も、ぽっかり、心に穴が開いたみたいですけど、………うん、すげぇ寂しいですね。…でも、一歩ずつゆっくりでいいから、歩き出さなきゃいけないと、僕たちは歩き出そうと、頑張ってます。でも、みんなはまだ、…立ち止まっててもいいかなぁと。後ろを振り返ってても全然大丈夫です。時間が経って、前を向いた時に、ちゃんと僕たちがそこに立っていられるように、笑顔で迎えられるように、…準備をします。………

やっぱり、いろいろあったこの、2年間はめっちゃしんどかった。でも改めて、…僕は関ジャニ∞というグループを愛しているんだと、再確認できる時間でもありました。……今まで夢を見て過ごしてきた15年間、……は僕、ほんとに、宝物のような、きらきらした、…僕にとっての青春です。……だからこそ、15年を祝ってもらう、そして自分達にとっても…おめでたいライブを、悲しいものにしたくない。そしてエイターのみんなには、心から、楽しんでほしいというところから、発表は、…ライブが終わってからということに決めました。…えー十五祭のライブはですね、セットリスト細かい演出まで、……うーん初めて、全て、僕が担当しました。………何一つ、嘘はついてないつもりですし、全ての演出に、意味を持たせたつもりです。なので、メンバーは何も悪くない。納得いかないことがあるなら、僕の演出が間違っていたということです。責めるなら僕を、責めてください。

まあただ、僕の横には、…仲間がいます。…えー重い荷物を分けて持ってくれる、頼もしい、お兄ちゃん達がいます。なので、……大丈夫です。泣きたい時は泣きますし、辛い時は、…しんどいってちゃんと言います。

…みんなも、えー自分の気持ちには嘘はつかず、5人になった僕たちに、…正直に向き合ってくれて大丈夫です。………えー…スカパラ……谷中さんが、僕たちの一年前のことを歌にしてくれた、『メモリーバンド』という曲の歌詞の中に、"僕ら人生というステージの上には いつだって全員で並んでいる"………もうその通りで、………これからもそれに変わりはありません。…………えー………僕にとっても、…グループ…のメンバーにとっても、一度きりの人生、今の選択が、………正解になるように、…頑張ります。

…まぁただね、ライブが終わったばっかりで、2日前に発表もあって正直今、…………みんなもそうかもしれないし、そうかもしれんっていうかそうだと思うけど、…まあ、心身共に、すごく疲れてます。…でこのラジオで、優くんのファンもいる中、こんな時間を、ほんとに設けさせて頂き、ここまで語らせて頂いて、ほんとにありがとうございました。………ぁ、だから、いろんっな記者さん達がいると思うんですけど、もう、……これ以上はないので(少しだけ笑う)、僕たち6人を、もう、追っかけないでもらえるとありがたいです(少しだけ笑いを含みながら)。

そして、エイターのみんなには、ほんとにすごく感謝しています。……あなた達がいたから、この半年、ずっ…と笑顔でいられました。……ね、みんなも日々つらいこと悲しいことね、多分たくさんあるよね(すごく優しい口調)。でもだからこそ、ライブで、笑顔で会えるあの瞬間が、すごい幸せなんよね。まあ明日からお互い頑張って、またライブで会う時には、……泣いててもいいから、笑顔で会えると、いいなと……思ってまぁす。お互い、元気貰って、支え合って、ここまで来られたと、自分では思ってるんで、これからもこんな大変な俺たちだけど、よろしくお願いします。

まぁこれはもうほんとに、あのー…メンバーも関係なく事務所も関係なく、個人的な意見、を言わしてもらいますが、……こういうことがあると、いつも突然だから、…安心できないよね。もう次こういうことがあるなら、僕はもう、終わりでいいと思うし、(強調するような口調で)ちゃんと、お互い心の準備ができるよう、発表したいと、…自分は思ってます。

えー……リスナーの皆さん、個人的なお手紙に、お付き合い、ありがとうございました。

 


2019年9月7日 大倉忠義より』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………はい」

『ありがとうございます!すいませんもう、これ以上のこともないですしこれ以下でもないですし』

「うーん」

『なんか、あのー……ねえ、素直に、…言わせて、もらえる、…場所だったんで、………なんか、どぉすればいいやろう…って思いながら』

「うーん」

『あの…1人、部屋でずっと、書いてたんですけど』

「うん」

『でも…ありがとうございました優くんもね、あの…見に来て頂いて』

「あぁ!東京ドーム!えぇ、拝見させて頂きました」

『いやもうこのーラジオのスタッフの皆さんもみんな、あのー、見に来てくれて』

「えぇえぇ」

『で優くんはちょっとね、メールには書いてくれてたけどちょっと次の仕事があるんで先出ますって言って』

「はい、挨拶、ちょっと、行けなかった…」

『そう。で、あのー…ここのね、スタッフさんだけが。いつも優くんがいるから、助かってるっていう話してたじゃないですか、』

「挨拶でしょう?(笑)」

『そう、で優くんおらんかったから』

「俺いなかったから」

『めちゃめちゃ困ってたよ』

「(笑)」

『どうしよてなった時に、なんかあの…丸ちゃんが』

「うん」

『あのー、うちのスタッフの親戚が会って、車に乗っけてもらったみたいな話を、一回してたじゃないですか』

「ああ!はいはいはいはい」

『で、聴いてましたよ!みたいな』

「おお!」

『丸ちゃんが言ってくれたの』

「ええ!!」

『だからすげえ助かりましたよね、金子さんね、そう、で』

「助けられちゃってるじゃん…出演者に(笑)」

『結構、けっこう長く丸と喋って』

「えぇ?本番終わった後の…」

『そうそうそう』

「ごめんなさいね…」

『で、ほぼほぼもう、丸だけが、こう喋って、』

「うわあ……」

『で、…』

「甘えちゃってんじゃん」

『そう、あざした。つって(笑)。で、もうなんか、何もなさそうやったから、…』

『「(笑)」』

『もう、行っていいですか?つって(笑)』

「(笑)駄目だよ〜出演者に気遣わせちゃ〜…いやいやいや〜…(笑)」

『大変ですよね、いやでも優くんも含め、ねえ、十五周年のライブに来て頂いて』

「うん」

『いや、嬉しかったですほんと』

「あれ〜…は…ほんとにその細部に至るまで大倉さんが演出だったんだねえ」

『………なんかねえ、うーん、そうすね〜、なんか、自分が…したいなあっていうところで』

「う〜ん」

『だからなんか、あの、映像とか、もういろんなとこの、全部、ステージ、自分でこんなん言うのも嫌なんですけど、今回に関しては、もう、あの、自分が、やるって決めましたね。で、まあ、そのー…うーん…なんかねえ、あの、どんなこと、を、やってもきっと、やっぱ、3月、あの下旬に、いろいろ、決まってた部分もあったから、いろんなこと、どんなことをやっても、なんか、やっぱり、ねえ、腑に落ちない、子達が絶対、出てくるし、で…そんな完璧なライブなんて俺は作れる訳ないし、ただ、全員で、話し合って、より、自分が、あの…受け…なんかそれを、作ってることによって、なんか、受け取り方がねえ、あの、人によっては違うかもしれないけど、でも、なんか、うーん自分が十五周年のライブ作りたかったっていうのもありますし、うん、』

「いやなんか東京ドームって、まあー大きな会場なんですけど、なんか今までで一番すごく近く感じた気がしました」

『わあ〜ありがたいっすねえ』

「う〜んいやほんとに、なんだろ、もうあれなのかな、な、内容のこととかちょっとは喋っても大丈夫?」

『あ、全然全然!』

「ねえ、なんかほんとに物理的にも近づいてきてくれる機会が多かった、気がしましたし」

『そうですね、距離もそうですし』

「俺〜未だに俺目合った!って思ってる」

『はははは(笑)』

「多分俺だけじゃないだろうけど(笑)大倉くんと今目合った〜つって」

『そうですね近く…そうね、関係者席にも一番近づいた公演だったかもしれないですね』

「うんうん…そう、めっちゃ手振ったもん俺…大倉く〜ん!って言って(笑)」

『(笑)』

「みんなそうやって手振ってたと思うし」

『なんかねえ、なんかステージもそうだし、なんかどうやったら一番、あのー全員の近くに行けるんだろうとか、あとーまあ、この…ねえあの、15年、俺らはやってきてるけど、……じゅう、5年、もしかしたらその、…えー…2002年からだから17年18年、あの応援してくれてる人たちも、なんか、懐かしく思えるような、いつ、ファンになってくれた人も、楽しめるような公演になってほしかったし、僕らが、その、あの、オープニングの映像で、松竹座のね、知らないんですけど、多分、みんな、全員が知らないんですよ、一回こう松竹座の、緞帳、ってあるじゃないですか、上がっていくやつ、に、なる瞬間があるんですよ、で、リアルに松竹座のブーっていうブザーが鳴るんですよねあれ、オープニングの映像で。…で、多分、ほぼほぼ、15年前の僕たちには会えてないんですよ。でも、15年前の松竹座に皆を連れて行きたかったんですよ。』

「はあー…」

『…っていうところから始まって、で、この、うー…ん、まあ、すばるくん、内もおったし、始まった時は。でもなんか、それも、ねえ、先ほど言った通り、嘘にはしたくない公演、に、したかったし、で、みんなにとって、こう、近い、公演にしたかったし、まあ最近はね、なんか結構バンドも多かったから、なんかバンドじゃない自分たちの魅力も、ちゃんと知ってほしかったし、なんかねえその、うーん、関係者の方にはいろいろね、あの、もっとバンド聴きたかったよ〜とかって、いろいろ言われたりとかあったんですけど、今回のことは申し訳ないけど、関係者のために作ってるライブではないので、まあまあその、ちょっと、それで…これ聴いて、仕事、すんのやめようとか思わないでくださいね、関係者の人…(笑)』

「思わないでしょ(笑)バンドやらないから仕事切るってどんな関係者よ」

『でも、俺と…俺らと、ファンのためのライブだから、なんか、それをね、やっぱり…めちゃくちゃ大事にしたかったというか、うん…だから、自分たちも楽しかったし、うーん、でもめちゃめちゃ楽しかった』

「素敵だね!でもアコースティックセット良かったすよね」

『あ、ほんとすか』

「うーん、まあでもあれもバンドっちゃバンドじゃないですか」

『まあまあまあまあバンドっすよね』

「しかもやっぱその、エレキの音とか使わないって…あのムズイすからね、単純に」

『うーん、めちゃめちゃね』

「まあ、そのリズム感とかも…そうそうそう、生音だからなんていうの、やな言い方バレるっていうか、ミスったりして生音、あの生楽器ってバレるから。それをあんな綺麗にちゃんと奏でてるところも実は、…関係者はそこを見るべきだよね」

『あぁー…いやいや、ありがたいすけどねそれは』

「アコースティックセットでもやるんだっていうところって意外と、あの、乙な部分だと思うんですけどね」

『アンプラグドみたいなね』

「アンプラグド」

『うーんだからそれも、なんか、ねえ、やっぱ関ジャムを5年くらいやらさせてもらってるからこそ、なんか、できることですし、なんか、そう…それを、詰め込みたかったっていうとこなんで…そうなんですよ〜だから、ねえ、あの、いろんな意見がおありでしょうが、うん…なんか、…僕らは、すごく楽しくできたし、うーん…なんか、そっすね、その、6人で、15周年ライブ十五祭を、9月3日まで、やらさしてもらいましたけど、ちゃんとやり遂げることができたかなと、…思いました』

「いやーもうなんか、すごく力を貰いました僕は、あのコンサートから」

『いやいや…いや、良かったですありがとうございます』

「やっぱエンターテインメントだよなあとかって思って…その後の、その、いろんな、あれほらあの、ジャニーさんの、」

『はいはいはい!』

「お別れ会のニュースだったりとか」

『あ、そうですね、その次の日に僕らの…あのセットで、ジャニーさんのお別れ会だったんで、でまたそれが、あのー…関係者の、ね、あの、会には僕らも参加させて頂いたんですけども、その、あの、一般の、あの、方達の会の時に、なんか8万8000人やったみたいで。なんかその数字とかも含めて、…なんか、僕ら、エールを送ってもらってるような、ジャニーさんに。頑張れよ。つって、言われてるような気もして、それぞれね。うーん、っていうのを思って、うーん……ちょっとね、一層、頑張らなきゃなっていう思いになったっていう、うーん』

「なんかねえ、その、メディアで見ない日はなかったというか、今週は」

『そうですね』

「コンサートが終わって、そういう、メンバーのあの、錦戸さんのことがあったり、で、47都道府県の発表があり」

『そうっすね』

「ジャニーさんのお別れ会の報道があったりとか、もういろんな、ね、ことが立て続けに、あったんだろうなって、勝手に想像して」

『そうっすねぇ』

「そうそうそうそうだから僕…なんかは不思議な立場、関係者、なのか、友達…なのか、何なのか…(笑)」

『そうっすね、まあどちらでもあり』

「どちらでもあり何なのかって感じなんだけど、さっきのその、腑に落ちるとかね、腑に落ちないとかっていう話があったんだけど、そう急いで腑に落とす必要もないことなのかなって僕は思ってたりとかしてて、」

『まあ、あの、僕らもねえ、あのー…うー、いち、いや、じゅ、うーん…去年の、去年から、いろいろ話し出してたところもあったので、みんなとはね、時間のあの、流れ方が、やっぱり一年、続けてずっと話し合ってきたのと、やっぱり2日前3日前に聞いたことっていうのは絶対違うので、だから、あの…いざ、やっぱり僕らも、こう、5人になってみてっていうところっていうのは今から多分、なんか思っていくところだし、全然ねえもう、すぐ整理ついてなんて言うつもりもなくて、でも…うーん無理だしそんなの。んーだからそれは、あの、うー勝手にねこっちが、47っていうのを、掲げて、やっていくっていうことを決めたかもしれないけど、そんなの、全然、俺らに乗っかってくれなくていいし。うーん…なんか、お互い、なんか、止まることってなんかやっぱ、できないんですよね。うーん…なんか、休むこともできるだろうし、止まることもできるだろうけど、なんか、うーん……それをしちゃうと、もうなんか、…なんだろう、うーーん………すげえ、…力が、もっと要りそうで、今より。ずっと走ってきて、あの、例えが合ってるんか…あ、合ってないのかもしれないけど、こう、ランナーズハイになってる状態から、一回さ、あの…もう、ゴールして、…一回、家に帰って、休んじゃってってなると、もう一回、めちゃくちゃ、そこまでいく、自分の、精神状態とか、体もどっちもそうだし、体心どっちもそうだし、そこにいくまでがすごい大変なような気がして。だからこのまま、なんか、あの、自分勝手だけれど、俺らは走り続けてなくちゃいけないのかなぁって思って。だからほんとに、あの、もう僕らが強制することなんてほんとなくて。うーん。ただ、なんか、うーん、一回は、今、うん次のところまでいくところまでは、走ってる状態かもしれないけど、まあ、自分も一回ちょっと、休みたいっていうのはあるけど(少し笑い含みながら)、』

「うん、そりゃあねえ……走り続けてるから…」

『うーん、でも、次のところから、こんちくしょうってつっていうところもあるから、すぐ走り出したいなって思ってるんで、なんか、うーん、そのまんま…いてくれたらなって、無理せず。っていうのが、正直なとこですね。すいませんなんか、長い間、ねえ、あの、もしかしたら、あの、優くんのファンもそうだし、なんか僕らのファンも勿論聴いてくれてるし、全然関係ないタクシーのおっちゃんとかも聴いてくれてる、タクシーのおっちゃんと優くんのファンごめん!』

『「(笑)」』

 

 

 

 

 

 

『今更ですが…オールナイトニッポンサタデースペシャル大倉くんと!』「高橋くん!」

『改めましてこんばんは、15周年記念のドームツアーを終え、えー11月からは全国47都道府県ツアーに向かっていく関ジャニ∞大倉忠義です!』

「来週末に地元秋田で自分が主催するフェス、秋田キャラバンミュージックフェスが控えている高橋優です!」

『すごいねなんか、2人とももう、年齢的にさ、なんかあの、主催者側に回ってるっていう…はっはっはっは(笑)』

「演出とかね(笑)」

『なんか、それが、できるようになってきたのもなんかさあ、あのー若い時には考えられなかったけど、もう、すごい嬉しいことですよね』

「ありがたいことだし、だから視野が広がりますよね」

『そうね』

「昔はちょっとこう大きい存在に対してさ、何この!みたいな」

『あー』

「ちょっと生意気ぶることだけに徹されたけど、作る側の気持ちもだんだんわかるようになってきたらさ、だからね、あるんだっていろいろ、みたいなさ」

『そうそうそうそう』

「昔は嫌だったタイプの台詞を自分の口から出すようになったとかね」

『そうなのよね、大人になるというかね』

「大人になる、どっちの気持ちもわかるようになる感じ」

『で、あとはちょっと、その、フェスになると余計、人のために、演出しなきゃいけないし』

「そうなんですよ〜」

『ねえこれ人のためにやるっていうことが、なんか尊くないですか』

「それはね、すごくやりがいがあります」

『そうっすよね』

「やりがいがある、どれくらいまで、想像できたか、どれくらい想定できたかっていうのは本番蓋開けてみないとわからない訳じゃないですか」

『うーんそうね』

「で、あ〜ここ足りなかった〜っていうのがあったりとか、ここ思い通りになったというか」

『はいはいはい』

「なんか、で、思った以上にすごいいいことになったりとかするのがあるから、いいなと思いますそういう作るっていうのは」

『いいっすよね、うーん』

「今回のその、ドームツアー、東京ドーム的にはどう…大倉さん的にはもう、もう思い通りになったんですか?あの演出とか…」

『いや思い通りではないですけど、なんか、やっぱり、どっか、あの、喜んで頂けるもんっていう思いで作っているけど、なんか、それって蓋開けてみないと分からないもんで、なんか、あのー…この、んん、メンバー、同士の、あの、このデュエットが見たいかなとか』

「はいはいはいはい」

『じゃあ例えばこの曲をあの、聴きたいかなとか、いろいろあるけど、でもそれプラス、自分らが、こう発信したいんですっていうことも含め、だから』

「うんうんうんうん」

『なんか、やっぱり、う〜ん、100%、お客さんのあの好みにできるかっていうとできない訳で』

「まあね〜、100人いたら100人好みがばらばらだったりするしねえ」

『でも、なるべく、あの100人いたら、91人ぐらいが良いって言ってくれるようなライブを今回は目指しました、あのいつもは、80人いてくれたら、成功だと思ってるんですけど、90…1人ぐらいいてくれなあかんなっていう思いで』

「ああ〜〜〜なるほど」

『なるべく』

「15年やってきてるしね、そこについてきてくれてる人たちの数とかも考えてっての、91人てことね」

『そう!わからなきゃいけないだろう、俺たちは、っていう』

「その関係性もありということね、いや素敵〜」

『いやだからそれは、めっちゃ楽しかったですよ〜、なんか、僕はなんか、ライブに行くことって、あの…その日に、テーマパークに行くのと一緒だと思ってて』

「う〜ん」

『なんか、一緒に友達と約束してさ、行く時って、家出る瞬間からすげえ楽しいじゃないすか。で、その、前から楽しいかもしれない前日から、うきうきして寝られないかもしれないし、なんかどうしよう、服、洋服とかどうしようとか』

「はいはいはいはい」

『考えてる時間だったり、で、その間、その、友達との待ち合わせの、電車の間も、なんか、もしかしたらその、関係ある、歌を聴いてたりとか。っていうことを考えると、もう、家っ、から、始まってるんじゃないのかなとか、いろいろ考えたりして、スタッフさんと』

「そうだよね〜、うんうん」

『これはこう…こうじゃないこうじゃないってすごい、長い間すごく、あの…いつもよりも長い期間、話せたんですよね。なんかそれはすごいよかったですねなんかまあいろいろと、わがままも言わしてもらいましたけど…なんか、やっぱり、周年って面白いもんだなあと思って…って優くんも周年が、ね』

「ええ」

『来ると、思いますが』

「来年10周年」

『来年10周年、10周年とかってもう、いいもんじゃないすか』

「そう〜なりますかね」

『うんなんか、楽しい、たのしーいもんにしてほしいすよね』

「うん、いやでも勉強になりますわ」

『いやいやいや』

「勉強というかなんというか」

『でもそれってさあ多分、俺は、ごめんね今、水、…入れちゃっ…(「いやいや」)あの、俺らは俺らで、俺らと、ファンの、15年だけど、優くんは優くんなりの、優くんとファンの間で、歩んできた10年だから、なんか、もうそのー、みんなが楽しめるようなライブ、全然、あのー、俺らが行ってわからんくても、っていうのを、精一杯楽しんでたら、もしかしたら伝わるもんなんじゃないのかなって僕は今回思いましたね』

「あ〜…いい、ですねえ…その、背中を見て、僕も勉強になるし、まあね大倉さんご本人に言うことじゃないですけれども、僕がこう大倉さんとこうやってお話させてもらうようになってからね、全国各地で、やっぱ、例えば歌を歌ってたり、別の仕事されてて、僕の友達で、で、関ジャニ∞のコンサートに行ってる人たちが僕の友達に何人かいる訳ですよ」

『おおおお』

「そういう人たちからね、僕に連絡来る訳ですよ。多分関ジャニ∞に、あのー対する思いがもう溢れんばかりで」『おおーありがたい』

「俺に送ってくる訳ですよ、その人たちにとっては家から出るところとかの画像とか送られてきてたから」

『はっはっは(笑)』

「今の話聞いてもう全部結びつきましたよ、まさに」

『まさに(笑)よかったぁ』

「嬉しそうにあの…ボディーペイント、なんだ、ボディーシール」

『あぁ〜はいはいはいはい』

「貼ってたりとか、Tシャツをもう着てたりとか、う〜ん」

『ありがたいすね』

「そうそうそうそう嬉しそうに幸せそうな顔してね、僕が行ったのはだから結局はあれはファイナルですよね、そうだから、ファイナル、までの全国各地のドームからの、模様を僕はね、逐一頂いてたから」

『あ〜ありがたい(笑)ははは』

「そうそうそうそう楽しかったんだろうなと思ってたし」

『よかったです』

「まあ僕は9周年で、来年10周年だけど、先週あの〜スイートラブシャワーっていうあの〜」

『はいはいはい!』

「野外フェスに、出演させていただきましてこの番組が終わって、あのそのまま、あの山中湖の方に…